beArt展ブログにアクセスいただきありがとうございます。当グループ3年の松本と申します。
私は実際にこの多摩ニュータウンという土地に住み、もう10年以上生活しております。
元は千葉県の鴨川市というところに住んでいて、小学校3年生のときに父親の仕事の関係でニュータウンに住み始めました。
元々住んでいた場所が相当な田舎で、自分の家の目の前に海があって、地元の人たちの間では「吉浦海岸」と呼ばれているのですが、初めて東京から千葉までカーナビを使って帰ったときにその吉浦海岸はただ「太平洋」と書いてあっただけで、名前すらなかったことが非常にショックだった事を今でも覚えています(笑)。
それぐらい田舎だったところに住んでいて、こちらに引っ越してきたときはなかなか衝撃を受けました。
まず、マンションだらけということに驚きました。
田舎臭い話をして大変恥ずかしいのですが、それまで住んでいたところにはマンションなんて駅前に一軒あるだけで、他は基本的に一軒家。自分も戸建てに住んでいたし、マンションに住んでいた同級生は一人しかいませんでした。今の生活からでは考えられない話です(笑)。
とにかく、僕が初めて住んだ【東京】はこの多摩ニュータウンであり、遊ぶ場所も、買い物する場所もしばらくは多摩ニュータウンエリアの中が基本でした。
しかし、中学生にもなるとだんだん色気付くようにもなり、原宿・渋谷などの東京の都市部で買い物する事に憧れを覚え始めます。それまでももちろん親に連れられて23区のほうにはたびたび行ってはいましたが、あくまでそれは「連れて行かれただけ」であって、決して自分の意思を持って行ったわけではありません。
そんな中、ようやく中学生になって都市部に自分で電車に乗って向かった際に「今、自分は【東京】に向かってるんだな」というワクワク感を覚えました。
でもこれは不思議な話で、引っ越してきたばかりの私にとって多摩ニュータウンは間違いなく【東京】であったはず。しかし、このときには既に自分の中で「多摩ニュータウンって、23区と比べると何も無いし、本当に同じ東京なのか?」という意識が生まれていたのです。
さらに高校に入ると、僕の住んでいる街のことを知っている人間がほぼ誰もいないという状況でした。そして、それに慣れてしまった自分もいて、自分の住んでいる街の事を聞かれたときは「東京と神奈川の境目のよくわかんない場所だよ」などと答えるようにもなっていました。
…と、まあ長々と続くのですが、この話はまた次回、自分が担当する番に続きを書こうと思います。
そういった感覚を持ち始めた思春期から、今に至るまでの過程を次回は書かせていただきます。ドンミシッ!
beArt展オープンまであと 35日!!
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